松江城調査報告会(平成30年度)

更新日:2023年05月17日

松江城調査報告会レポート:平成31年3月23日(土曜)

松江市では、国宝松江城天守に関わる調査研究に継続的に取り組んでいます。
この報告会は、その現状を報告し、研究成果を新たな調査研究の進展につなげる目的で開催しています。第6回となる今回の報告会は、松江城の鯱瓦と鬼瓦についての報告講演と、城郭建築の新たな見方についての講演が行われました。

報告講演

報告会にて報告を行う岡崎専門委員の写真

岡崎雄二郎松江市史松江城部会専門委員による「松江城の鯱瓦(しゃちがわら)と鬼瓦」では、松江城に関わる鯱瓦と鬼瓦について報告がありました。
まず「鯱」とは、建物を火災から守る火難除けの想像上の動物であるとの説明がありました。鯱瓦は、もともと寺院建築に取り付けられていましたが、安土城(天守かどうかは不明)にはじめて城郭建造物に取り付けられ、やがて全国の城に広まりました。
次に、具体的に松江城の鯱瓦について、絵図資料に描かれたものと昭和の修理工事の際に降ろされて現在は天守地階に保管されているものなどについて説明がありました。天守地階で保管されている資料については、近年調査を行ったところ内部から、分銅印に「富」の刻印を打ち付けた木材が発見されています。また、表面を覆う銅板を打ち付けている釘はほとんどが近代の丸い銅釘で、明治時代か昭和の修理工事の際に使用されたものの可能性があります。しかし、一部には四角い穴の釘穴もあることから、鯱瓦の修理は幕末までさかのぼれるかもしれませんが、もう一度銅板をはずして調査をしてみないとはっきりしたことは言えないということです。続いて松江城の鬼瓦について、天守に伝わる鬼瓦および城内から出土した鬼瓦について報告がありました。
最後に今後の課題として、松江城天守の鯱の当初の姿を知るためには、残された鯱の本格的な解体調査が必要なこと。松江城独自の形状を持つ鯱瓦は、その製作地はどこであるか。また鬼瓦についても、他の城の鬼瓦との比較検討が必要であること。昭和の大修理時に残された、当時の膨大な歴史情報を可能な限り展示・公開すべきであるというまとめとなりました。

講演

報告会にて講演を行う麓和善名古屋工業大学大学院教授の写真

麓和善名古屋工業大学大学院教授による「城郭建築の新たな見方〜木材加工痕から見た城の歴史〜」では、、木材加工痕から見た城郭建築の新たな見方について講演がありました。
はじめに、様式から見た天守の変遷について、現存12天守それぞれについての解説がありました。近世の城郭の一番の特徴は「天守」であり、そのはじまりは一般的に織田信長が造った安土城からだといわれています。天守は短期間のうちに日本中で広まり、発達していきました。天守の完成は寛永期(1624〜1644)に造られた江戸城天守といわれており、大きく望楼型と層塔型の二つに分けて、さらにそれを前期・後期に分けて変遷をスタートしているとの説明がありました。外観に続いて、内部の様子からそれらの特徴を見ていきました。

続いて12天守に残る木材加工痕の説明がありました。松江城天守の柱には当時の工具の加工痕が多く見られます。穴蔵から、1階、2階、3階そして4階までは、表面の仕上げはほとんどが手斧(ちょうな)で仕上げられています。しかし、5階の柱に関してはすべて台鉋によって仕上げられており、これは作り手に5階だけ格が違うのだという意識があるからだという説明がありました。

最後に、様式から見て望楼型から層塔型へ、前期から後期へと移り変わるのと同じように、城郭建築が多く造られた時代というのは、古い工具から新しい工具に変わろうとする時期であり、古い建物では戦に合わせて短時間に天守を完成させないといけなかったために、統一してきれいに仕上げようという意識がなかったけれども、時代が安定してくると時間に余裕もでき、天守のような大きな建物をきれいに仕上げるという意識が見られるようになっていったという、加工痕の調査からも天守の変遷、城の歴史が見えてきたと述べられました。

資料ほか

この松江城調査報告会で報告された講演については、令和2年発刊の「松江城調査研究集録7」に収録しています。

この記事に関するお問い合わせ先

文化スポーツ部 松江城・史料調査課
電話:0852-55-5959(松江城係)、0852-55-5388(史料調査係)
ファックス:0852-55-5495
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