実戦を想定した城下町

更新日:2023年02月01日

障子堀(しょうじぼり)
 市道北田大橋線交差点には「舟入川(ふないりがわ)」と呼ばれる堀が大手前通りと直行するように設けられていました。この堀の調査を行ったところ、城下町造成当初の堀の底から深く掘り込まれた大きな穴がいくつも見つかりました。これは「障子堀」と呼ばれるものであり、意図的に深い場所と浅い場所をつくることにより、堀を渡ってくる敵の勢いをそぐ防御技術の1つです。東日本では多く発見されていますが、西日本では数例しか見つかっていません。これまで、松江城下町は、鉤型路(かぎがたろ)や勢溜(せいだまり)を設けるなど、実戦を想定した軍事的な設計がなされていたことが知られていましたが、堀の底についても外敵に対する備えがなされていることが分かりました。城下町が造られたのは1607年から1611年頃とされており、この頃は関ヶ原の合戦後も大阪に豊臣家が存在する緊迫した時期でした。

底の部分が深く掘り込まれて穴が開いている障子堀の写真

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