第34回全国椿サミット松江大会

更新日:2023年12月28日

第34回全国椿サミット松江大会

第34回全国椿サミット松江大会ちらし

第34回全国椿サミット松江大会ちらし(PDFファイル:6.7MB)

松江と椿のつながり

古事記・日本書紀に登場する素戔嗚命・稲田姫命(いなだひめみこと)夫婦が宮居を構えた八重垣神社に伝わる連理玉椿は、稲田姫命が植えた2本の椿が寄り添うように成長して一つの椿になったと伝えられています。出雲国風土記には、この地域に多く自生する草木として椿が「海拓榴、海石榴、椿」として記録されています。

松江藩中興の祖・松平治郷(不昧)公は、大名茶人としても知られています。茶花として椿を好み、鷹狩りの際に藩内で見つけた美しい白椿を褒め称え「四ケ村」と名付けた、参勤交代の折りに気に入った椿の苗を持ち帰り松江城内に植えた、など椿にまつわる逸話は多く伝えられています。今では松江城内の西側は椿谷と呼ばれ、2,000本を超える椿が群生し、日本三大ヤブ椿群の一つとされています。庭木に椿が好まれ、早春には老舗和菓子店に上生菓子「四ケ村」が並ぶなど、松江には茶の湯文化から広まった椿のある暮らしがあります。

「耳なし芳一」「雪女」などの怪談の著者で知られる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、明治時代に松江を訪れ、松江の美しい風景、寛容で多様な精神性、自然と慎ましく共生する人々の暮らし方に古き良き日本の面影を感じ、松江を「神々の国の首都」と呼び、世界へ紹介しました。「古椿」という作品では、椿と日本人との関係や美しい椿に宿る神秘性・魔性について書き残しています。

こうした古くからのつながりに加え、松江のシンボルである国宝松江城に椿谷があること、雪の中で濃い緑の葉の中に可憐に咲いている姿が、粘り強い松江人の姿と重なるなどの理由から、昭和49年6月1日に椿を市花に制定しました(平成18年10月8日に再制定)。

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