館蔵品展『松江藩を支えた家老大橋茂右衛門』開催
本日から松江歴史館において館蔵品展「松江藩を支えた家老 大橋茂右衛門」を開催しています。
大橋茂右衛門は、松江松平家に仕えた家老で、一代ではなく代々の大橋茂右衛門家について本展で紹介するものです。初代の大橋茂右衛門は、現在の愛知県の出身です。同郷の武将福島正則に従って全国各地を転戦し、関ヶ原の合戦で活躍し名を上げました。
資料P46は、大橋家から松江市に寄贈いただいた、福島正則からの手紙です。福島正則は幕府に無断で広島城を改修しようとしたことで、身分を取り上げられて領地や屋敷を没収されてしまいます。この手紙は、その原因となった広島城の修繕について、大橋茂右衛門に宛てて書かれたものです。
福島正則家が改易されてしまったため、大橋茂右衛門(初代)は浪人となってしまいます。次に仕えたのが福井県小浜藩主の京極家でした。この京極家の家臣となって、1634年に京極家が松江藩主となったということで、茂右衛門も付き従い松江にやってきます。茂右衛門の屋敷は、京橋の北側のところにあったという記録が残っています。
茂右衛門(初代)は、京極家を辞した後、松江藩主となった松平直政に登用されます。この時の屋敷は、今の南田町にあったと思われ、資料P48は江戸時代後期(7代目茂右衛門の頃)の松江城下絵図になりますが、これによると藩主が住んだ松江城三の丸よりも広い敷地だったことがうかがえます。
時代が変わり、明治維新に際して松江藩が大きな危機を迎えることになります。1868年、新政府が、松江藩が反旗を翻すのではないかと疑い、それに対して謝罪を求めます。家老であった8代目大橋茂右衛門は、自害することで謝罪の意を尽くそうとします。結局、その誤解が解け自害せずに済んだということですが、P49の資料は、松江藩の疑惑が晴れた後に、松江藩が朝廷に尽くすと誓った文書です。ここには大橋茂右衛門が決死の覚悟で謝罪した旨が記されています。
今回の企画展は、大橋家から譲り受けたものも含め、松江市が収集・収蔵している貴重な資料を展示するとともに、大橋茂右衛門という松江藩の家老に焦点を当てた初めての展覧会となります。また、この大橋家から養子を迎え入れた出雲市佐田町の須佐神社に伝わる大橋家の史料を初公開します。また関連イベントとして、藤岡大拙先生による記念講演会や大橋家伝来の茶室でのお茶会、甲冑着つけ体験などを予定しています。
本日から開催し、3月30日までとなっていますので、ぜひ松江歴史館にお出かけいただければと思います。よろしくお願いいたします。
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更新日:2025年01月31日