調査コラム

更新日:2025年12月25日

令和2年(2020)4月より書き継いできたこの「調査コラム~史料調査の現場から」、今後もご愛読よろしくお願いいたします。ご意見、ご感想は末尾のお問合せフォームからお送りください。

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第55回「松江市の収蔵資料紹介(6)―野津左馬之助文書」

(松江城・史料調査課歴史史料専門調査員/高橋真千子/2025年12月25日記)

はじめに

本シリーズでは、近年松江市が収蔵した「民間アーカイブズ」を紹介しています。第6弾となる今回は、平成29年度(2017)に寄贈を受けた個人文書「野津左馬之助文書(のつさまのすけもんじょ)」をご紹介します。

野津左馬之助文書は、主に著作物編纂に関するもの・野津家に伝来したもの・左馬之助個人のもの・左馬之助の家族のもので構成されています。このコラムでは、野津左馬之助の経歴をたどりながら、所蔵されている史料について紹介します。

野津左馬之助の経歴などは市史編纂コラム第53回「野津左馬之助先生と『松江市史』」(PDFファイル:611.2KB)に詳述されていますので合わせてお読みください。

1.野津左馬之助について

野津左馬之助は、慶応3年(1867)1月に東持田村(現在の松江市東持田町)で生まれました。同年、岸清一が誕生しています。また、現在NHK朝の連続テレビ小説で放送している「ばけばけ」の主人公のモデル、小泉セツより1歳年上です。

左馬之助は明治19年(1886)に島根県師範学校へ編入、同21年7月に卒業し、小学校の地方免許状を取得します【写真1・2】。地方免許状は師範学校卒業から5カ年の有効期間で、5年以上の勤務経験と学術授業とも「超衆」(優秀等の誤りヵ)の人物に普通免許状が与えられました。そのため、左馬之助も小学校の教員として、津田尋常小学校(津田小学校)、海潮村(雲南市大東町)須賀尋常小学校などに赴任し、明治26年に小学校教員免許状を取得しています【写真3】。

島根県尋常師範学校卒業証書

【写真1】島根県尋常師範学校卒業証書

地方免許状

【写真2】地方免許状

小学校教員免許状

【写真3】小学校教員免許状

その後、邇摩郡大国村(大田市)尋常高等小学校訓導兼学校長として勤務していた左馬之助は、明治30年(1897)に島根県第一尋常中学校舎監兼助教諭試補となり、同年、尋常師範学校尋常中学校教員講習会の歴史科を受講、明治32年に地誌科と日本史科の教員免許状を取得します。日本史科の免許状に「師範学校女子部教員」と書かれているのは、当時尋常師範学校女子部及び高等女学校にしか日本史科の科目ががなかったためと考えられます【写真4】。また、師範学校女子部の教員免許を取得していれば、中学校で勤務することができました。こうして、左馬之助は、明治43年(1910)に島根県第三中学校(出雲市大社町)【写真5】を退職するまで、長野県や島根県内の中学校で教員として教鞭を執りました。

日本史科教員免許状(師範学校女子部)

【写真4】日本史科教員免許状(師範学校女子部)

島根県立杵築中学校(島根県第三中学校)

【写真5】島根県立杵築中学校(島根県第三中学校)

2.県史編纂と左馬之助の史料調査と史料紹介

中学校退職後、左馬之助は島根県史編纂委員としての活動を行い、『島根県史』全9巻を発刊します。その期間は明治44年(1911)から昭和5年(1930)まで、約20年に及びました。

では、左馬之助はどのように調査を行ったのでしょうか。

まず前提として、島根県史ですから島根県の全域の史料調査を行う必要があります。現代では車や電車、飛行機などの交通手段がありますが、当時はおそらく汽車と船、そして徒歩です。鉄道や船で行けるところまで行き、そこからは徒歩での移動だったと考えられます。島根県の西の端、鹿足郡(かのあしぐん)までは、一体何日かかったのでしょうか【写真6】。令和2年(2020)3月に完結した『松江市史』では、古代・中世・近世・近現代・民俗・自然環境・絵図地図・松江城など各分野に分かれて部会を組織し、それぞれの専門家が分担して調査を行い執筆していましたが、左馬之助は『島根県史』「先史時代」から「明治維新期」までの通史をほぼ一人で執筆しています。そのため、史料を求めて鳥取県や山口県、長野県などにも赴き、調査を行っています【写真7】。

末尾に鹿足郡蔵木村在住者所蔵本を筆写したことが書かれている史料

【写真6】末尾に鹿足郡蔵木村在住者所蔵本を筆写したことが書かれている史料

長野県で筆写した史料

【写真7】長野県で筆写した史料

史料の複写はどうでしょう。現代はデジタルカメラで撮影し、HDDにその画像を取り込んでいます。古文書を活字にするときは、パソコンで画像を見ながら文字入力ソフトに入力するため、読む早さで文字を入力することができます。しかし、当時は写真撮影は高価ですので、当然筆写です。丁寧に、間違えないように史料をよく見て筆写するため、非常に時間がかかります。【写真8】にも見られるように、左馬之助は史料の形態だけでなく史料に挿入されていた図面・絵なども非常に丁寧に筆写していました。

筆写史料

【写真8】筆写史料

現在ならPCで執筆する原稿も手書きです。メモ書きから草稿、清書と、いくつもの段階を経て執筆したと考えられます。残っているのは原稿のみですが、丁寧に書き、ペンや朱を入れて訂正した形跡が見られます【写真9】。

『島根県史』巻之八原稿

【写真9】『島根県史』巻之八原稿

最後に、左馬之助が好んだのか研究のためか定かではありませんが、県内外の大量の絵葉書も残されています【写真10-1,2】。

隠岐鯣荷積の光景

【写真10-1】(絵葉書)隠岐鯣荷積の光景

島根県子供博覧会本丸運動場

【写真10-2】(絵葉書)島根県子供博覧会本丸運動場

以上のように、左馬之助は非常に多くの労力と時間、資金をかけて史料調査を行い、『島根県史』を編纂しました。左馬之助の史料は松江市に寄贈されたものだけでなく、島根県立図書館にも「島根県史編纂史料」として約380件(島根県立図書館の検索機能で調べた件数)所蔵されています。ほとんどが筆写史料ですが、中には県庁に残された旧藩引き継ぎ文書の原本を製本し直したものもあります。これらの文書は、左馬之助が史料価値を見いださなければ今に残らなかったものもあるかもしれません。筆写された史料の中には、原文書が既に失われたものもあり、島根県の歴史を研究する上で大変重要な文書群となっています。

おわりに

左馬之助の功績は『島根県史』だけではなく、『大原郡誌』、『飯石郡誌』、『鹿足郡誌』、神社の由緒記、『島根県史蹟名勝天然記念物調査報告』などが挙げられ、明治・大正・昭和初期の島根県の歴史を牽引してきた人物といえます。寄贈史料にはこれらに関するものもあり、野津左馬之助という人物とその事蹟を顕彰する上でも欠かせない文書群です。

左馬之助の残したものは、このとおり、過去から現在へと引き継がれてきました。これから未来へと引き継がれるために、また、これらの史料を皆様に広くご利用いただけるように、松江市文書館開館に向けて準備したいと考えています。

参考文献

  • 『島根県私立教育会雑誌』第75号(島根県私立教育会、1891年)
  • 『島根県私立教育会雑誌』第83号(島根県私立教育会、1892年)
  • 『島根県近代教育史』第一巻通史(島根県教育庁総務課、報光社、1978年)
  • 「小学校教員免許規則」(明治19年6月21日文部省令第十二号)『法令全書』明治19年下巻(内閣官報局、1887-1912、国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 「某学校教員免許状ヲ有スル者ハ等位ノ該学校ニ準スヘキ諸学校以下ノ教員タルヲ得」(明治19年12月22日文部省令第二十四号)『法令全書』明治19年下巻
  • 「尋常師範学校、尋常中学校、高等女学校教員免許規則」(明治29年12月2日文部省令第十二号)『法令全書』明治29年(内閣官報局、1887-1912、国立国会図書館デジタルコレクション)

この記事に関するお問い合わせ先

文化スポーツ部 松江城・史料調査課
電話:0852-55-5959(松江城係)、0852-55-5388(史料調査係)
ファックス:0852-55-5495
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